甲山古墳は、市内冑山地内に所在し、平成元年(1989)に埼玉県史跡に指定されました。
荒川右岸の江南台地東端に分布していた古墳時代後期の甲山古墳群中にあり、その甲山古墳群は、甲山古墳を主墳にして以前は数基の小円墳で構成されていましたが、現在これらの小円墳は消滅しています。
古墳の概要は、直径90メートル、高さ11.5メートル、2段築成の大型円墳で、墳丘東側には方形の張出部が存在し、古墳祭祀が行われた造出部の可能性が示唆されています。墳丘の規模は、行田市の国特別史跡「埼玉古墳群」中の、日本最大級を誇る丸墓山古墳に次いで県内第2位の規模です。築造時期は、採取及び北側のトレンチ調査により出土の円筒埴輪片の特徴から、6世紀中頃~後半と推定されています。
江戸時代に編さんの『新編武蔵風土記稿』には乱掘記事が見え、石槨から甲冑馬上の塑人(埴輪)・玉(勾玉)・鏡・折れた大刀(直刀)などが出土し、再び埋め戻されたと記されています。また、『埼玉縣史』第1巻(昭和25年刊行)では、ほかに馬形埴輪、五鈴釧(くしろ)が出土したという伝承が紹介されています。