宮塚古墳は、市内広瀬地内に所在し、全国的にも珍しい上円下方墳という墳形とされ、昭和31年(1956)に国史跡に指定されました。
荒川左岸の河岸段丘上に分布する古墳時代後期の広瀬古墳群中にあり、その広瀬古墳群では現在、宮塚古墳のほかに円墳が9基、方墳が2基の計12基の古墳が確認されています。
古墳の概要は、上円部が直径8.5~10メートル、下方部が西辺24メートル・東辺17メートルで、全体の高さが約4.15メートルの規模です。発掘調査が行われておらず明確ではありませんが、築造時期は7世紀末~8世紀初頭(今から1300 年くらい前の古墳時代の終わりごろ)と考えられています。なお、以前から墳頂部付近において埴輪片が採取されていたことから築造時期が6世紀代に遡る可能性もあり、墳形も含めて未だ確定的ではありません。
上円下方墳については、方形の段の上に饅頭のような円形の土盛りがのる特異な形で、埼玉県内の例では、令和5年3月に国史跡に指定された川越市の「山王塚古墳」があります。この山王塚古墳は発掘調査が行われ、墳形とともに内部の埋葬施設の構造等も明らかになっています。また、全国に目を向けてみると、天皇家や有力豪族たちが採用した墳形で、奈良県の国史跡「石のカラト古墳」、静岡県の「清水柳北1号墳」、東京都の国史跡「武蔵府中熊野神社古墳」・「天文台構内古墳」、福島県の国史跡「野地久保古墳」などがあります。