坂本古墳群は、周辺を合わせて元は約 150 基からなる大群集墳を構成していたが、開墾によりほとんどが消滅し、現在では数基を残すのみである。1~3号墳については平成7年度から発掘調査が実施されている。
坂本古墳群のなかでも、中心的な古墳と考えられる1号墳は、墳丘の遺存状況も良く、三重県内では古墳時代後期の前方後方墳としてきわめて特異な存在である。古墳時代後期の前方後方墳は、これまでは出雲地方や関東地方の一部で知られていたが、1号墳のように7世紀前半にまで築造時期が下るものは、全国的にみて最も新しいと考えられる。また、1号墳から出土した金銅装頭椎大刀(こんどうそうかぶつちたち)は、中央からもたらされたとする説が有力で、1号墳の被葬者を考えるうえで示唆的である。この1号墳を含めて、坂本古墳群は、櫛田川河口付近に勢力をもった地方豪族の墓として累々と築かれた、三重県を代表する大規模な群集墳の片鱗を示すものである。