ふじみ野市滝地区に所在する権現山古墳群は、新河岸川(しんがしがわ)と荒川の低地が一望できる標高16mの武蔵野台地縁辺に位置する3世紀後半~4世紀前半に築かれました。古墳群は前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)1基と方墳11基で構成され、中でも前方後方墳である2号墳は当時の姿をよくとどめた貴重な史跡です。
2号墳は古墳群の中で最初期に築かれた周辺地域の盟主の墓と考えられています。墳丘のまわりをめぐる溝からは底部穿孔(せんこう)壺形土器(焼く前後に底部を打ち欠いた土器)や器台形土器、坩(かん)(小さな壺)形土器、高坏(たかつき)形土器が出土しており、古墳時代の古い葬送儀礼の形態を示す貴重な資料です。
「権現山」の名は、徳川家康が鷹狩の際に高台の塚の上で休憩したという伝承に由来しています。
古代から人々に大切にされてきた権現山の古墳たちは、昭和38年に市指定文化財、平成14年に県指定史跡、平成20年に特別緑地保全地区に指定されました。現在は権現山古墳群史跡の森として市民の憩いの場、歴史・自然の学習の場となっています。






